今回は日本人にとっての最適な英語学習法について、國弘正雄さんの著書をベースに考えていきたいと思います。
國弘正雄さんは政治家やTVキャスターなど多方面で活躍された方ですが、何といっても英語の分野において大きな足跡を残しました。
英文学者・斎藤兆史氏は著書『英語達人列伝』の中で、日本における英語の達人として新渡戸稲造・幣原喜重郎などの偉人をあげていますが、その続編『英語達人列伝Ⅱ』において國弘正雄さんを取り上げています。
國弘さん自身も多くの著書を残したのですが、今回はその中から『國弘流英語の話しかた』(たちばな出版)を読み解いていきます。
この本を取り上げるのは、「日本人にとって最適な英語学習法とは?」という問いに対する答えがここにあると感じたからです。
個人的にこれまでの英語学習を通じてボンヤリと掴みかけていたものが、この本の中でことごとく言語化されていて、非常に共感できる内容でした。
以下では國弘さんが唱える英語学習法を紹介しつつ、ボク個人の体験談や考え方も織り交ぜながら、英語学習の王道に迫りたいと思います。
学生であれ、社会人であれ、「本気で英語学習に取り組みたい」という方にとって有益な情報が含まれていると思います。ぜひ最後までご覧ください。
この記事では、以下のような情報を知ることができます。
- 國弘正雄さんの経歴
- 國弘正雄さんが提唱する英語学習の王道
- 只管朗読の取り組み方とその効果
- 國弘正雄さんが考える英文法の本質
- 國弘流英語学習法と筆者が実践してきた英語学習の共通点
この記事を書いた人
ヒラク
TOMOSU BLOG 運営者・執筆者
早稲田大学政治経済学部政治学科卒 / 現在TOEIC920点
同時通訳の神様・國弘正雄ってこんな人
國弘正雄:経歴
昭和5年(1930年)8月18日 ▶ 東京都北区生まれ
昭和30年(1955年)▶ ハワイ大学卒業、卒業後は日本のシンクタンクのアメリカ常駐スタッフとして勤務
昭和39年(1964年)▶ 中央大学法学部専任講師(文化人類学)
昭和40年(1965年)▶ NHK教育テレビ「英語会話中級」講師
昭和53年(1978年)▶ 日本テレビと専属契約を締結、多数の番組に出演
平成元年(1989年)▶ 参議院選挙に日本社会党より立候補、当選
平成12年(2000年)▶ 勲三等旭日中綬章受章
平成26年(2014年)11月25日 ▶ 老衰のため死去、84歳
英語界における足跡
- 英語学習者として…
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- 中学生のとき、新渡戸稲造の伝記に影響を受け、英語の勉強を開始。祖国の敗戦を目の当たりにし、日本のために弁じたいという強い思いが英語学習の礎にあった。
- 日本に進駐していた各国の兵士に手あたり次第に英語で話しかけた。さらには英語教科書に載っている英文の発音を尋ね、それを参考にひたすら音読を繰り返した。
- 英語実務家として…
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- アポロ11号の月面着陸を伝える生中継に同時通訳者として出演。のちに「同時通訳の神様」と呼ばれるようになった。
- 音声通訳のみならず、翻訳家としても活動。アメリカ合衆国大統領・リチャード・ニクソンの書籍を翻訳するなど、政治をテーマにした本が多い。
- 英語教育者として…
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- NHKにて英語教育番組の講師を務めたほか、トーク番組にアメリカの著名人を招き、豊富な知見・圧倒的な英語力を披露している。
- 英語学習に関する書籍を多数執筆。その多くは英語初心者向けのもので、今回取り上げた『國弘流英語の話しかた』も初学者に語りかけるような調子で書かれている。
月面着陸の生中継では、通信状態が悪く、現地からの音声をほとんど聴き取れなかったみたいですね。
しかたがないので、テキトーに通訳したら、あとで放送局の人にめちゃくちゃ叱られたそうです(笑)。
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『國弘流英語の話しかた』から見えてくる英語学習の王道
只管朗読:黙って朗読せよ、ひたすら朗読せよ
『國弘流英語の話しかた』に書いてあることはひとつの言葉に集約することができます。
それはすなわち、【只管朗読(しかんろうどく)】です。
これが、國弘さんの考える英語学習の王道と言えます。
この【只管朗読】とは、仏教(特に禅宗)で用いられる言葉である「只管打坐(しかんたざ)」をアレンジした言葉で、國弘さんの造語です。
「只管打坐」とは、余念を交えずひたすら座禅をすることを意味します。
それと同じように、【只管朗読】は、「あれこれ考えず、ただひたすらに朗読すること」という意味を持つのです。
その【只管朗読】について、以下で詳しく見ていきます。
えー、ただ朗読するだけ?もっと他にあるでしょー。
…って思うじゃろ?ところがどっこい、朗読にはとんでもないパワーが秘められておるのじゃよ(ドヤ顔)。
繰り返すことの重要性
英文を朗読する。
シンプルこの上ない学習法ですが、國弘さんはここで重要なポイントを2つあげています。
①意味を理解した英文を読むこと、そして②それを徹底的に繰り返すこと。この2つです。
①の意味理解については後ほど詳しく触れるとして、ここでは②繰り返すことの重要性について紹介します。
なぜ同じ英文素材を繰り返し読む必要があるのか。
この問いに対し、國弘さんは歌舞伎・将棋・音楽・絵画など他分野のプロフェッショナルの体験談を用いつつ、繰り返すことの意義を述べています。
例えば音楽については、ヴァイオリニスト・諏訪内晶子さんの以下のコメントを取り上げています。
壁はいくつもあるけれど、同じ曲を何十回、何百回と弾きつづける中で、突然パアーッと青空が開けたような瞬間がくる。その時、自分の力が一段と飛躍した感覚になって、面白くてたまらなくなりますね。
引用元:國弘流英語の話しかた
徹底的に繰り返した結果、ある日突然世界が開ける。霧が晴れる。
実際に、この感覚をボク自身も英語学習で味わったことがあります。
受験生時代に徹底的に英文音読を繰り返した結果、ある時期から突然、英語を英語としてダイレクトに理解できるようになりました。面白いように英文が読めるようになり、成績が急上昇しました。
受験英語という浅い世界でのハナシですので、もっともっと深い世界があるのでしょうが、やはり繰り返すことでしか見ることのできない景色があるのです。
國弘さんは「繰り返すこと」について、自身の言葉で次のように語っています。
同じことを繰り返すなんて、飽きてしまって、時間の無駄だと考えるのは、ごく普通だと私も思いますが、そこを飽きない人が飛躍するのです。なぜ、彼らは飽きないのか。それは、ここに紹介した人々のファイルを読めばおわかりでしょう。
はた目には単調な繰り返しに見えても、当人たちは、技術の奥行き、質の深化ということを生き生きと感じているのです。それに惹かれて、繰り返せるのです。まさに彼らにとって、繰り返しは無限の喜びなのです。
引用元:國弘流英語の話しかた
國弘さんは中学生時代に、学校の英語教科書を暗記してしまうほど繰り返し朗読したそうですが、それこそが自身の英語力の根幹にあると言います。
繰り返しの中に技術の奥行きを感じられるか。質の深化を見出せるか。無限の喜びを味わえるか。
徹底的に繰り返す。その「徹底的」とは、「こうした感覚を得られるまで」ということになるでしょう。
「繰り返し」の中に、「喜び」が詰まってるわけですね!
「繰り返し」の中に「喜び」を見出す人が、一流となるのでしょう。
只管朗読と英文法
本書では、英文法についても取り上げています。
英文法の勉強について、國弘さんは以下のように語っています。
日本人は文法、文法と言うから英語が出来ないのだと、久しく言われ続け、現在も盛んに言われているようですが、事実は全く逆で「まだまだ文法の勉強が足りない」というのが真相のようです。文法の理屈や文法用語の暗記が足りないのではありません。訓練が足りないのです。
引用元:國弘流英語の話しかた
「日本人が英語を話せない(理解できない)のは文法ばかりやっているからだ」という論調は当時からあったようですね。
國弘さんは、そうした声に対し、文法を「暗記」と「訓練」に分け、「訓練が圧倒的に不足している」と述べているのです。
これは「抽象」と「具体」と言い換えることができるでしょう。
日本人は文法の「抽象」的な部分である文法事項の理解・暗記は十分すぎるほどできていますが、「具体」的な英語に触れる量が足りません。
國弘さんは、最低限の文法事項の理解・暗記は当然必要だとしたうえで、その先の学習法について、ここでも只管朗読が最適な学習法だと言います。
次なる勉強は、文法的な観察眼を働かせながら、実際の英語にたくさん触れるということです。具体的に言えば、大いに英語を読んで、聞いて、「ああ、この文法形式は、こんな場面で、こんなふうにも使えるのか」という発見をたくさんしてください、ということです。
引用元:國弘流英語の話しかた
國弘さんはこの2つ(抽象・具体)はどちらかひとつという関係性ではなく、補完しあう関係にあると話しています。
文法の勉強(暗記・抽象)に音読(訓練・具体)を上乗せすればよい。そして訓練で分からないことがあったら抽象に立ち返ればいい。両者を行ったり来たりすればいいと言います。
江戸時代の寺子屋では、外国語である漢文の素読が行われていました。具体の繰り返しによって、抽象に迫るという学習法ですね。
冒頭で取り上げた『英語達人列伝』『英語達人列伝Ⅱ』に登場する英語の達人の多くが、子供の頃に漢文の素読を行っているという事実があります。
こうした達人たちは「具体」を積み重ねることの重要性を子供のうちから理解していて、それを英語学習でも応用したのではないでしょうか。
また、他ジャンルに目を移すと、日本独自の数学術である「和算」の世界でもこの方式が採用されていたようです。数学者・森田真生さんの著書には以下のような記述があります。
たとえば江戸時代の日本には、「和算」という独自の数学文化があった。
そこでは、まっしぐらに抽象化・普遍化に向かわずに、特殊な設定下の具体的な例を数多く身に付けることを通して、背景ではたらく原理を少しずつ「悟っていく」ような学習法・教授法が重視されたという。
和算には、西欧近代数学とは異なる数学の美意識と価値観があったのだ。
引用元:『数学する身体』森田真生
たくさんの「具体」に触れることで、背景にある「抽象」を悟っていく。
歴史的に見ても、どうやらボクたち日本人に合った学習法と言えそうですね。
日本人が英語ができない理由を学校の英語教育にあると決めつけ、あれこれイジりまわした結果、ボクたちの英語レベルはむしろ下がっている、というのが現状です。
目新しい学習法を追い求めるのではなく、シンプルに原点に立ち返ることの方が効果的だと感じます。
日本人はマジメだから、「まずは『抽象』を固めてから」って考えがち。結果、いつまで経っても「具体」に踏み出せないんですよね。
謙虚さも大事だけど、「具体」に飛び出す勇気も必要ですね!
- 只管朗読=①意味を理解した英文を、②何度も繰り返し音読する
- たくさんの英文に触れることによって、文法を深く理解できる
國弘正雄が唱える只管朗読:取り組み方とその効果
音読素材の選び方
只管朗読の取り組み方として、まずはじめに音読素材の選び方を取り上げます。
素材を選ぶうえでの唯一の条件となるのが先ほどあげた【①意味を理解した英文であること】というポイントです。
例えばボクは、受験生時代からずっと、音読素材として選んだ英語長文の単語の意味を調べ、構文解釈をし、日本語訳をとるという作業を行ってきました。
この点に関しては何も考えず、当たり前のこととして行ってきたわけですが、じゃあなぜそこまで深く意味を理解しておく必要があるのか?と聞かれると、明確な答えは持ち合わせていませんでした。
なぜ細部まで意味を理解した英文である必要があるのか。國弘さんはそのあたりもしっかり言語化してくれています。
音読とは意味理解や知識習得を目的に行うものではありません。そこがゴールではない。スタート地点ですらないと言ってよいでしょう。
意味理解とは、スタート地点に立つ前に終えておかなければならない “前提条件” なのです。
あなたが高校生であれば、易々と意味を理解できる中学レベルのテキストを読むというのもアリでしょう。また、ボクのように大学受験レベルのものを構文解釈まで行ってから読むというのでも OK です。
社会人の方も同じです。構文解釈のやり方なんて忘れちゃったという方・単語を調べている時間がないという方であれば、初見で理解できるレベルの英文から始めれば良いと思います。
國弘さんは教材選びについて、「禁欲的であれ」と言っています。
禁欲的とはつまり、自分の英語力よりも難しい英文を読んでみたいという欲を抑えるということでしょう。
意味理解の程度や構文解釈について、國弘さんの言葉を引用しておきます。
英文の意味を一通り理解するにはどうしたらよいかという質問は当然です。よさそうな手段はなんでもお使いください。辞書で単語の意味を調べること。日本語の訳を教えてもらうこと。その訳も、意訳・直訳・文頭からの便法訳と、何をどう使っても結構。主語・目的語・修飾語と文の構造分析も遠慮せずにおやりなさい。
(中略)
確かに分析魔の悪しき傾向というものはあります。分析するばかりで総合がないことです。何事も分解のしっぱなしはいけません。総合を音読でやるのです。只管朗読には分析毒の解毒作用もあるのです。
引用元:國弘流英語の話しかた
「総合を音読でやる」という言葉は、ある程度音読をやったことのある人間であれば、深く共感できるのではないでしょうか。
一度英文をパーツごとに分解し、音読で再び組み合わせるのです。
機械いじりの好きな少年は、機械の構造を理解するために、実際に機械を分解し組み立て直すということを行います。
それは、取り扱い説明書を読むだけでは「肌感覚」として理解できないからです。
アタマで何となくわかったつもりになって終わるのではなく、カラダで徹底的に理解するために、分解→統合という流れを目で見ながら、手で触りながらやってみるわけです。
構文解釈の参考書(=取り扱い説明書)を読むだけじゃ「何となくわかったつもり」というところまでしか到達できないから、声に出して読むプロセスが必要なんです。
こうした英文の難易度に加えて気になるのが、英文の内容・分量というポイント。
これについても、本書中の記述を引用しておきます。
短い会話文だけのものはおすすめ出来ません。やはり、単語の点でも、文の構造の点でも、基礎的なものが一通り出てくるような教材が望ましいのです。
長いものは繰り返すことが出来ません。繰り返さなくては成果は上がりません。
引用元:國弘流英語の話しかた
この点についても、ボクの考えは同じです。ボクは過去に【音読教材の選び方】の記事で、以下のように書いています。
- 話し言葉ではなく、書き言葉 → 構文がしっかりした英文を読むべきだから。
- 1ページ以上2ページ以内 → 短すぎず、長すぎず。構文を意識しながら読む集中力の持続限度が2ページまで。
それでは、意味理解というハードルを飛び越えたその先で、音読がボクたちにもたらしてくれるものは何なのでしょう。詳しく見ていきましょう。
学生の方であれば、授業で扱った英文を復習も兼ねて音読するのがベストだと思います。
授業でしっかりと意味理解できているはずだから、最高の素材ですね!
音読がもたらす効果
本書の中で國弘さんは音読がもたらす5つの効果をあげていますが、ここではそのうちの3つを紹介します。この3つは、ボク自身がこれまでに強く感じた効果でもあります。
①直読直解が可能になる
直読直解とはつまり、英語を英語として理解するということです。
初学者であれば、【英語を読む→日本語に置き換える→理解する】という手順を踏みますが、音読を積み重ねるうちに、日本語に置き換えることなく、ダイレクトに意味をつかむことができるようになります。
國弘さんは本書の中で以下のように述べています。
英語をひたすら音読することによって、英語の語順どおりに意味をとっていくという思考パタンが脳の中に深く刻まれるのです。いったんそのパタンが刻まれればしめたものです。おなじパタンに出くわせば、直ちに文頭からそのまま読んで意味がわかります。
引用元:國弘流英語の話しかた
ここで強調しておきたいのは、「パターンが脳の中に刻まれる」という言葉です。
音読の目的が、まさにここにあります。
ボクはこのことを、「英語理解のための枠組みが脳内にインストールされる」と表現しています。
パソコンの OS は人間の入力した情報を正しく処理してくれます。
それと同じように、文字や音声として取り込んだ英文を正しく処理してくれる、いわば司令塔の役割を果たす枠組みが脳内に生まれるわけです。
こうした枠組みを脳内にインストールしてしまえば、脳が英語化されるわけですから、英文の語順通りに意味を理解することができます。
この効果は以下の②③に波及します。
枠組みのインストールには、どれくらいの時間が必要ですか?
毎日欠かさず音読を続ければ、3か月ほどで一定の効果を実感できるはずです!
②有意義な多読が可能になる
有意義な多読ということについて、國弘さんは本書の中で、ある高校生のエピソードを取り上げています。
とある高校生が1年生の夏休みに『國弘流英語の話しかた』を読み、中学の教科書で音読をやってみた。
夏休み中ずっと音読を繰り返したこの生徒は、2学期になると別の中学から来た友達に異なる出版社の中学教科書を借りた。
ほかの友達にも声をかけた結果、合わせて4種類の教科書を手に入れることができた。
借りた4種類については、一晩で読むことができたのだという。
この生徒が取り組んだプロセスは、①精読→②只管朗読→③多読という流れで説明できます。(①精読とは意味理解のこと。単語を調べたり、構文解釈をしたりするプロセス)
自分が持っていた中学教科書を徹底的に只管朗読したからこそ、4種類の教科書を一晩で読むという多読が可能になったわけです。
國弘さんが指摘しているのは、多読に取り組む前に①②のプロセスを省いてはならないということです。
多読が英語理解に効果的だと聞くと、多くの英語学習者はいきなり多読に取り組んでしまいます。
精読したものを繰り返し音読して「パターンを脳に刻む」という作業を抜かしてしまう。これでは有意義な多読にはならないと言います。
多読に意義を持たせるには、「只管朗読で読み込んだテキストと同じレベルであれば、速く読めるぞ、たくさん読めるぞ」という予感が生まれてこなければならないのだそうです。
そうした予感とともに多読に取り組むためには、一見回り道のように思えても、精読したものを、繰り返し音読して、ちゃんと身につけるという段階を踏むことが必要です。
考えてみれば、当然ですよね。
只管朗読(音読)が「英語理解の枠組みをインストールする作業」だとすれば、多読は「その枠組みをブラッシュアップ・アップデートする作業」となります。
事前に「インストール」を終えていたからこそ、多読という学習法に「ブラッシュアップ・アップデート」という意義が生まれるわけです。
パソコンの OS をVer 2.0 → 3.0 → 4.0 …とアップデートしていくためには、その元となる Ver 1.0 の OS をインストールしとかなきゃ話になりませんから。
國弘さんは【音読】と【多読】それぞれの特徴を見抜き、両者の学習効果を最大化できるように「インストール」と「アップデート」という異なった役割を持たせています。
國弘さんの圧倒的な学習量と、そうした経験に裏打ちされた慧眼のなせる業だと言えるでしょう。
ボクは音読も多読もインストールだと思ってました。確かに、インストールしたものはアップデートしなきゃいけませんね。
音読が先、多読は後というのも納得です!
③難しい英語に取り組む力がつく
難しい英語に取り組む力がつくという点について、國弘さんは只管朗読で身に付けた英語力を、数学における掛け算の九九になぞらえています。
数学の世界では、掛け算の九九を完璧に暗唱することが、複雑な数式に取り組むベースとなります。
それと同じように、只管朗読で「英語理解の枠組み」の完成度を極限まで高めておくことで、難しい英語にも対応できるわけです。
これはボクも自らの経験として理解できます。
受験生時代に音読に取り組んだのは浪人生活をスタートさせた4月でした。
1学期・夏期講習と音読を徹底して迎えた2学期、上級講座に登場する難関大学の長文問題を難しいと感じることはありませんでした。
音読を通じて、複雑な英文にも対応できるだけの「核」を身につけられていたのだと思います。
難しい英文もスラスラ読めるという感覚が自信へとつながり、学習モチベを高めてくれます。
自信をつかんで上昇気流に乗ることで、あなたの英語力も加速度的にアップするはず!
音読の取り組み方・注意点
音読に取り組むうえでポイントとなるのは以下の3つです。
①意識を向けるべきは発音ではない
音読に取り組む際によく目にするのが、発音にこだわる学習者です。
ですが、音読において意識を向けるべきは発音ではありません。先ほども触れたとおり、音読の目的は「パターンを脳に刻むこと」「英語理解の枠組みを脳にインストールすること」だからです。
音声の点に限れば、一生懸命に練習し、かなりのレベルまで仕上げる人はそれなりにおります。高校生のスピーチコンテストを聞いてもわかるでしょう。しかし只管朗読は、音の点で外国人並みになることを目指すものではありません。
引用元:國弘流英語の話しかた
國弘さんはこう述べたうえで、「最初から文章単位で発音を完璧にするのは難しいから、まずは単語学習の中でひとつひとつの単語をしっかり発音できるようにしておきなさい」と話しています。
何事も、目的を履き違えると想定した結果は得られません。
事実、ボクはこれまで、学習の基礎段階で発音にこだわっている人で英語が上達した人を見たことはありません。LとRの発音の違いなんてのは、基礎段階でやることではない。
スポーツの場合、難しいテクニックや細かい戦術の前に、基礎的な体力を「核」として身につけておかなければ上達するわけないですよね。
英語も一緒です。
只管朗読という「基礎訓練」を通じて、試験英語にも英会話にも、リーディングにもリスニングにも対応できる「核」を築くことが第一なんです。
只管朗読とは「ただひたすらに読みなさい」ということ。
「読む」ということにやれ発音だ何だと付け加えたら、必ず只管朗読の目的を見失ってしまいます。
受験英語の世界における音読の第一人者とも言える東進ハイスクール・今井宏氏は次のように語っています。
「要するに、声を出して読みさえすればそれでいい」というのが正しい姿勢なのである。
物事はできるだけ単純に、複雑にしないほうが間違いなく長続きする。
一番ダメなのは、複雑化しすぎて長続きせず、1週間も続けないでサッサとヤメちゃうことである。
引用元:さあ、音読だ ~4技能を伸ばす英語学習法~
発音はヘッタクソでも構いません。ただ愚直に、継続しましょう。
パターンを脳に刻むこと。それ以外は考える必要はありませんね。
「物事を複雑化しない」というのは、どの分野でも大切な鉄則なのかもしれません。
②時間をかけるべきは意味理解ではない
目的が「パターンを脳に刻むこと」だとするならば、当然「意味理解に時間を割くべきではない」という結論も得られます。
基礎力を作る段階では、一通りの意味を理解するのに、あまり時間を使ってはいけません。時間は理解したものを身につけるために使うのです。その比率は、一対九といっても決して誇張ではありません。
引用元:國弘流英語の話しかた
理解したものを身につける=パターンを脳に刻むことが目的なのです。時間もエネルギーもそこに注がなければなりません。
先ほど紹介したとおり、ボクは単語の意味調べ・構文解釈・日本語訳をとるといったことを欠かさずやっていますが、こうした作業にかける時間というのはごくわずかです。
週の初めに精読した長文の音読を1日5~10回×週7日。おおよそ1:9程度になるのではないかと思います。
中学レベルの英文を選ぶのであれば、意味理解にかける作業時間は限りなく0に近づくでしょう。
國弘さんは本書中で、自らの学習体験に加え、ハインリヒ・シュリーマンという考古学者の例を取り上げています。
彼は外国語の学習段階で、一通り意味を理解するというプロセスに、なるたけ時間を使わぬようにしました。そのためには、すでに内容の分かっている本をテキストに選んだのです。彼が集中して時間を使ったのは、意味がわかった本を何度も朗読して暗記してしまうというプロセスです。
引用元:國弘流英語の話しかた
あくまでもメインは音読というインストール作業にあることをお忘れなく。
自分の音読時間の10分の1以上の時間を精読に使っている場合、その音読素材は適切ではないということになるでしょうか。
このあたりはあくまでも参考程度に。学生の方で、精読に時間かかったけど、授業でバッチリ理解できたというのであれば、素材として使ってよいと思います。
③「繰り返す」の具体的な分量
ここまで読んできて、「じゃあどれくらい繰り返せばいいの?」という疑問を持つ方もいることでしょう。
これまでに提示した期間はすべて感覚的なものでした。(技術の奥行き・質の深化・無限の喜びなど)
國弘さん自身の体験談としても、本書の中で具体的な期間があげられているわけではありません。
唯一記載があるのは、「暗記してしまうほど読み込んだ」という主観的なもの。
本書から明確な期間を読み取ることはできませんが、ボク自身の答えを提示しておきます。
先ほどボクは自分の音読の分量を、1つの英語長文につき【1日5~10回×1週間】だと言いました。
ボクの場合、これを3か月続けた結果、英語を語順通りに読むことができるという効果を感じました。
おそらくこの1セット【1日5~10回×1週間】を3か月継続というのが最低ラインではないかと思います。
これまで音読を積み重ねた経験から言えば、これ以上はいくらやっても OK 。時間が許せば、1日30回読んでみるなんてのでもいいでしょう。
また3か月という期間も一定の効果を感じられるまでの最低ライン。音読自体は1年でも10年でも、可能な限り続けるべきでしょう。
ただ、これ以下となるとちょっと厳しいと思います。枠組みのインストールにはやはり、繰り返すこと・一定の時間をかけることが必要だからです。
國弘さんは英文法の抽象と具体の割合について、特に抽象をどれだけ勉強するかについては、「自分で好きなだけ」としています。
先ほど言ったように、目的さえ履き違えなければ、また一定の分量さえクリアしていれば、ここでも「自分で好きなだけ」ということになるのでしょう。
意味理解にかける時間配分と同じように、絶対的な目安があるわけではないんですね。
ライフスタイルや英語力に応じて、個人差がある部分です。あなた自身の最適な分量をつかむと良いでしょう!
補足:なぜ声に出して読む必要があるのか?
これまで只管朗読の取り組み方について述べてきましたが、最後に「なぜ声に出して読む必要があるのか」という疑問を解消しておかなければなりません。
なぜ音読なのか?なぜ黙読ではダメなのか?
ここでも國弘さんの答えは明快です。
世に言うひっくり返し読みは、黙読するからそうなるのです(ある水準に達した場合の黙読は別です)。黙読の場合、ひっくり返し読みが忍び込む隙が生まれやすいのです。
ところが音読ではそうはいきません。声を出して英語を読めと言われたら、まず一人の例外もなく、文頭から順番に読んでいきます。
(中略)
文を左から右に声を出して読みながら、頭の方では語順をひっくり返して意味をとる、そんな芸当が出来る人はおりません。音読する声の流れに、意識の流れ、つまり意味の流れも従わざるを得ないのです。
引用元:國弘流英語の話しかた
黙読には、ひっくり返し読みが忍び込む隙が生まれやすい。これは英語学習者であれば誰もが納得することでしょう。
声に出して読むことは、そんな隙が生じる余白がありません。
「英語理解の枠組み」とはすなわち、語順通りのシステムを指すわけです。
黙読によってひっくり返し読みをしていると、エラーだらけの OS をインストールしちゃうようなもので、いつまで経っても英語理解の枠組みはインストールできません。
正確に作動する OS を、正確なままインストールするためには、音読しかないのです。
確かに、黙読してるとあっちこっちに意識が飛びますよね。「今日の夜メシ何食おうかな」とか、「あれ、ウチのカギ閉めてきたっけ?」とか。
それは集中力無さすぎでしょ…。
- 音読の前に、英文の意味理解は済ませておく
- 音読素材:×会話文だけ×やたらと長い
- 音読によって「英語のパターン」が脳に刻まれる
- そのパターンは多読に意義をもたらし、難しい英語にも対応できるようになる
- 音読のプロセスを複雑化してはいけない
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まとめ:「朗読」ではなく「只管朗読」である意味
いかがだったでしょうか。
日本人に最適な英語学習法について、國弘正雄著『國弘流英語の話しかた』をもとに考察してきました。
「只管朗読」とは「ただひたすらに朗読しなさい」という意味でしたね。
このうち「只管」とは「ひたすらに、ただ一筋に」ということです。
ボクは「朗読」と同じレベルで、この「只管」が重要だと感じています。
先ほども書いたとおり、音読に取り組む際には「発音にこだわる人」がいます。
英語学習に限らず、どんな分野でも本質ではないところであーだこーだ言っている人がいます。ひたすらに取り組めない人というのは一定数いるものです。
こういう人は絶対に能力を開花させることはできません。
「朗読」という言葉をわざわざ「只管」という言葉と組み合わせた國弘さんのメッセージを感じることができます。
「単純なことを愚直に繰り返す」という、その意義を心でちゃんと受け止めることが出来るか否かが、只管朗読の成否を握っているのです。
引用元:國弘流英語の話しかた
音読というものはカラダで英語の本質をつかんでいくものです。
ですが、その道のりは果てしなく長い。その道のりを根気強く歩んでいくためにも、まずはマインドセットを正しく持つことが大切なのではないでしょうか。
「繰り返すこと」への覚悟を持つことが必要だと感じます。
個人的に今回、國弘さんの言葉や自分の経験を深く掘り下げたことによって、音読に対する認識をさらに明確にすることができました。
この記事があなたの英語学習にとっても役立つものであったなら、とてもうれしく思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※今回の記事では紹介できませんでしたが、『國弘流英語の話しかた』では、國弘さん自身が英語の名文を取り上げ解説を加えているほか、具体的な学習アドバイスもしています。手にとって一読してみることをおすすめします。
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